治療方針を決めるのに迷ったとき、医者に聞くべき一言「先生ならどうしますか?」

医者雑談

こんにちは!
いい年して、まだまだ迷える子羊、ドクターコンちゃんです!

最近では、治療方針の選択権は、患者さん側にある、というのがキホンの考え方です。

選択権はあるけれども、専門的過ぎて正直よく分からないし、
自分で判断できない、ってことも多くないでしょうか?

そんな時は、お医者さんに、

「先生ならどうしますか?」

と聞くのが良いのではないかと思います。

そうすれば、専門知識を持った医者が、
医者自身の身に置き換えた時に、
データと感情とを合わせて意見を出してくれるからです。

ちょっとくわしく説明してみます。

昔は、治療方針の決定はパターナリズムに基づいていた

昔は、

医師
医師

診断は〇〇です!

手術をしましょう!

患者さん
患者さん

は、はいいい!!!

お願いします!!!

といった構図が普通だったと思います。

こういうのを、パターナリズム(paternalism)といって、
日本語にすると、父権主義、家父長制などと言われます。

要は、昔の日本の父子関係のように、
強い立場の者が、弱い立場の者に対して、良かれと思って、
相手の意見は尊重せずに、ああしろ、こうしろと介入することです。

圧倒的に多くの専門的知識やデータ、経験を持っている医者と、
ほとんど情報を持っていない患者さんとの関係性が、
親が子供のことを思って最適解を出してあげるというのに似ているわけですね。

ムンテラからインフォームド・コンセントへの変遷

その当時、医師が患者さんに、病状や治療について説明することを、
医療者の間ではムンテラと呼んでいました。

これはドイツ語のMund(口) Terapie(治療)から来ています。

(昔、日本はドイツの医療を取り入れていたことから、
いまだにその名残で、病院ではドイツ語由来の隠語が飛び交っています)

口で、すなわち話すことによる治療ということですかね。

説明して手術の同意を得ることまで含めて、
「ムンテラする」「ムンテラ予定がある」などと言ってました。

ムンテラという言葉の響きは、
立場が上の医師から、立場が下の患者さんに授ける的な、
パターナリズム的なニュアンスであったと思います。

最近は、ほぼムンテラと言う言葉は使わなくなり、
患者さんに説明し同意を取ることは、
インフォームド・コンセント(informed consent)と言うようになりました。

直訳すると、informed = 情報に基づく、consent = 同意 となります。

これは、医師が患者さんに病状や治療方針の選択肢などの情報を説明し、
患者さんは理解、納得した上で、自分で治療方針を選択し、同意する、という趣旨です。

インフォームド・コンセントは、ムンテラみたいに、うまいこと略せないですし、
日本語では最適な短い単語もありませんので、
頭文字を取ってIC(アイシー)と呼ぶこともあります。

一昔前の「患者さんにムンテラする」の代わりに、「患者さんにICする」とか言います。

ただ、ボクらがICするっていうと、
「情報に基づく同意をする」って意味になるので、
それは患者さん側の立場だろうということになり、
ホントはちょっとおかしいです。

でもいい日本語がないので、違和感は無視してそのまま使っています。

こういう普段ボクらが使う言葉の変化からしても、
治療方針を決定する時の考え方が、大きく変わったと思います。

あくまで、治療方針の決定権は、患者さんにあります。

患者さんが選択肢を提示されて迷うのは、どちらの治療法が良いのか、医師にも分からない時

しかし、決定権が患者さんにあるとしても、
判断の根拠となる専門知識においては、
やはり医師と患者さんでは大きな開きがあります。

すべて患者さんに丸投げされても、
どう判断したらよいか分からないと思います。

ですので、外来などで薬を選んで処方してもらうなど、
比較的軽い治療については、医師の判断にゆだねられていることが多いかと思います。

問題になるのは、手術など、
体に大きな影響を与える治療の場合だと思います。

ただ、データ的に、
この疾患には、この手術が明らかに効果がある、とほぼ白黒ついている治療については、
医師の方からそのように説明されるので、
治療法選択にも比較的迷わないと思われます。

医者の立場から言えば、
患者さんが選択権を委ねられて迷う場合というのは、
どっちの治療方針がいいのか、まだはっきり分かっていない時だと思います。

医療は常に過渡期で、進化し続けているため、
現時点で分かっていること、分かっていないことがあります。

ボクの専門である脊椎領域だけ取っても、
同じ疾患に対して、どの手術法が良いのか、
医師の間でずっと議論されている項目もあります。

また、次々に新しい抗がん剤や、
新しい手術法なども出てくる領域では、
そもそも十分なデータがそろっていないでしょう。

どちらを選んだとしても、一長一短あり
決定的なデータが出ていない場合は、
ボクらもどうしたらいいか迷います。

そういう場合は、医師の説明からも、どちらの方がいいという、
はっきりした言葉が聞けないと思います。

医師が選べないから、患者さんどうぞ、と言われても困りますよね。

医師が迷うんだから、患者さんは余計チンプンカンプンだと思います。

「先生にお任せします」もアリっちゃアリ

選択肢を挙げられて迷った時に、
「先生にお任せします」と言う人もいます。

そういう時は、医師の経験だけが頼りです。

医師もある程度経験を積むと、
「こっちの治療法はこういう合併症が出て大変だった」
「こっちの治療法は違う合併症が出たけど、比較的軽かったからリカバリー可能だった」
「これくらいの年齢の人ならこっちの方が良かったことが多い」
など、個別のエピソードを紡ぎ合わせて、
自分なりの選択基準というのを持てるようになるものです。

エクスペリエンス(経験)だけに頼るな、エビデンス(証拠)だ、
とうるさく言われるようになりましたが、
実際は、まだデータとしてどちらともいえないことも多いのです。

将来的には、こういう個々人の経験をデータとして集めて分析してみたら、
客観的なエビデンスとして立派なものが出来上がるかもですが、
ボクらは今選択しないといけないのです。

ボクらは日々選択して、自分の中に経験というエビデンスを蓄えているのです。

というワケで、迷った時の医師の経験による判断というのは、
あながち大外れは少ないかと思います。

ちゃんと経験のある医師なら、それなりの論理で提案してくれると思います。

「先生ならどうしますか?」は、なかなか試合巧者ですな

稀ですが、

「先生ならどうしますか?」

と言われることがあります。

この言葉は、はっとさせられるものがあります。

他人事として、治療の選択権を患者さんに委ねていたのが、
突然、病気が自分の身に起きたこととして考えさせられるからです。

その言葉・・・

おぬし、やるな・・・

といったところです。

こんな時はもちろん、それまでの臨床経験から、最適な方法を選ぶようにします。

でも、経験上も答えが出ないこともあるのです。

そういう時は、医師の感情や考え方に委ねられることになります。

医師のそれまでの生き方や、
人格に委ねると言ってもいいでしょう。

だから、「ボクなら、こうします・・・」と答える時は、
非常に慎重になりますし、緊張します。

もはや他人事ではないからです。

というワケで、「先生ならどうしますか?」というのは、
医師の本当のキモチからの答えを引き出す質問です。

ただ、その先生がちゃんと信頼に値する人間であることが条件ですけど(^-^;

自分だったらどうするか、が本当の医師の答え

ボクは、こういうシチュエーションで毎回、
長時間かけて悩むわけにはいかないので、
普段から、答えのないことに対しては、

ドクターコンちゃん
ドクターコンちゃん

自分ならどうするだろう

どちらの治療法を選ぶだろう

と考えてみるようにしています。

そうすると、さらに自分の中での選択基準ができあがるからです。

考えてみると、この、「自分ならどうするだろう」、という質問に対する答えこそ、
患者さん目線の、本当の医師のキモチ、答えだと思います。

というワケで、
最新のデータももちろん追いながら、
我が事として考え続けたいと思います!

最後まで読んでくださって、
ありがとうございました~!!!

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